みなさんこんにちは。今日は亡くなられてから、今年の5月で13年になる川田亜子さんについてです。

まずは親交の深かった安住アナのお話から。

TBSの看板アナウンサーでキレのある返しや番組進行にも定評のある安住 紳一郎アナ。

3年ほど前ラジオで安住さんが話した内容が話題になりました。

内容は後輩アナウンサーでもあった川田亜子さんに対しての懺悔でした。涙をこらえ声を詰まらせながらの話しはとても印象に残っています。

何故、安住さんは川田亜子さんに涙の懺悔をしたのか、川田亜子さんの死因とはなんだったのかを今日は探っていきたいと思います。

まずは川田亜子さんのプロフィールからどうぞ。

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川田亜子のプロフィール

読み方:(かわだ・あこ/Kawada Ako)
ニックネーム:アコちゃん
出身地:石川県金沢市
生年月日:1979年01月17日
没年月日:2008年05月25日
年齢:享年29歳
星座:やぎ座
血液型:O型
職業:アナウンサー

川田亜子さんのお父様はお医者様です。
川田さんは金沢大学付属小学校・中学校を卒業後、高校は盛岡白百合学園高等学校、大学は同系列の東京調布にある白百合女子大学のご出身です。

お医者様のお父様に白百合女子。絵にかいたようなお嬢様ですね!川田亜子さんの容姿もとてもお綺麗で非の打ちどころがありません。

そんな、川田さんは29歳の若さで亡くなられているのは残念です。ご存命なら現在42歳という事になります。同期の北川愛里(旧:山田愛里)さんのように、ご結婚をされてお子様もいらっしゃったかもしれないですし、バリバリのキャリアウーマンとして活躍されていたのかと思うと残念でなりません。

そんな川田さんの若すぎる死の原因とは何だったのでしょうか?

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川田亜子の死因は?

川田亜子さんの死因は自殺です。

2008年の5月26日の午前6時過ぎ、東京都港区近くの路上に停まっていた車の中で通行人が車内で倒れている川田さんを発見。

第一発見者の通行人の方は25日午後8時ごろには車が停車しているのを確認しています。

その時の社内の様子は、運転席から助手席に倒れこむようにうつ伏せになっていたそう。

変な格好で寝ていると感じたものの、その場所はタクシー運転手の休憩場所にもなっている事から、車内で休む様子に不自然さを感じなかったようです。

ですが、翌26日の午前6時頃、まだ停車している車を不審に思い車内を見た所、同じ格好のままでいる女性を確認。窓を叩くなどして呼んだが応答がなかった為、通報をしたそうです。

車内には、窓に目張りがされており、後部座席には練炭とコンロが2つ。

車内には「家族へ」と書かれた遺書らしきものと。「○○さんありがとうございます。…心の底に置いておきます」などと数行書かれたメモが発見されています。

当時のニュースでは、この「○○さんありがとうございます。…」のメモの相手が自殺の原因を知っているのでは?と騒がれ、相手は誰なのか?の話題になったのを記憶しています。

フリーアナウンサーに転向してから1年余りで自ら命を経ってしまったというのは、理想と現実にギャップがあったのでしょうか?

ハッキリとした原因はわかりませんが当時川田さんが綴っていたブログがあります。

自殺する前の12日のブログには

「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙が止まりませんでした」

そして直前の22日には「仕事の合間」と題して

「一番苦痛であります。昔は楽しかったのに…今はせつないです」

と綴られていました。

TBSをやめフリーに転向する際には「報道番組をやりたい」と言って退社している事や、22日のブログをみても仕事上での悩みが過度なストレスとなっていたのではないでしょうか?

この仕事上のストレスには人間関係もあるのではないでしょうか?仕事をする上で業務をこなす事も重要ですが、人と人が作り上げていくニュースや報道番組では、円滑な人間関係も重要な要素かと思います。

TBSアナウンサー時代、仕事の進め方が問題でアナウンス室内の人間から孤立してしまう事があったそう。

その様子を文頭で書いたように安住アナが涙ながらに話していました。

安住アナと川田さんの間に一体何があったのでしょうか?

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川田亜子と安住紳一郎との関係

安住アナと川田亜子さんは先輩後輩の仲です。安住さんと川田さんは約5年仕事を共にしていました。
川田さんの自殺のニュースが飛び交っている時期に、安住さんはとても落胆と悲しみを隠せない様子で、「付き合っていたのでは?」といった噂もありましたが真実はわかりません。
安住さんは今でも大切な後輩と表現しています。

いくら5年間仕事を共にしていたとはいえ、10年たった後輩の死をラジオ番組で涙ながらに話すという事は、ただの先輩後輩の関係だけではなかったのでしょう。

過酷な仕事を共に過ごした戦友のような存在?恋愛関係?人を大切に思う感情はもっと沢山ありますが、安住さんがラジオで語った話しでは「懺悔」でした。

先程も書きましたが、川田さんがTBSアナウンサーだった当時

「仕事のやり方が少し強めだったことで、少し(アナウンス室で)孤立していた時期があった」

自身(安住)も周囲の同僚から浮いた存在だった。

「そのとき、まだ生きていた頃の川田が、夜中に俺のところにやってきて、『安住さん、私も孤立してしまいました。私と組みませんか?』って突然言ったんですよね。
たぶん、川田は俺に甘えに来ていただけだと思うんだけども…。
でも、俺は俺で何か、『お前とのやり方は違う。お前は自分のやり方で仕事が煮詰まったんじゃないか』と少し突き放してしまった。

この「自分を頼ってすがってきた相手を突き放してしまった」といった感情が今でも安住さんを苦しめているのではないでしょうか?

友人や近しい人が自ら命を絶ってしまうと、家族はもちろんですが残された友人知人たちの心にも「もっと話しを聞いてあげていたら…」「もっと何かしていれば…」と残された側にも大きな傷が残ります。

それが、5年間職場を共にし、「亡くなる前に会いに来てくれていた人」となればショックも大きかったと思います。
このラジオは川田さんが亡くなってから10年後の5月27日でした。
命日も近い事から安住さんには思うところがあったのでしょう。

川田さんのご実家や近親者への言葉では無くラジオで発信した事には、自身の懺悔もう一つ理由がありました。

「勝手にね10年経ってこんなことを言われてもって思うんだけど。これは本当に…どんな謝罪をもっても許されないことだと思ってて。俺が、この放送局のアナウンサーを続けている限りは…、川田のことを考えてあげたいってずっと思ってるんです…!!」

と、嗚咽まじりの涙声で絶叫。

「(川田さんは)非常に可憐な女の子なんですけども、そしてとっても性格は強気なんですけど。さみしがり屋のところがありましたので、ぜひ、たまに思い出してやってください」

とリスナーに語りかけたことから、「川田さんの事をどうか忘れないで」
というメッセージが心を打ちました。

これを聞いていたリスナーからは

安住さんが発信してくれることで、あらためて川田さんを含む人の命の重さを考え、生前の笑顔を思い出す事ができるのではないでしょうか?

川田さんへの懺悔や責任だけではなく、安住さんにとってとても大切な後輩だったのだと思います。

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まとめ

●川田亜子の死因は、車内で練炭自殺による一酸化炭素中毒

●安住アナと川田さんの関係は、深い思いのある先輩後輩の関係   

今日探った内容は、亡くなられた方という事もあって少し重い内容になってしまいました。

春の新年度が過ぎストレスが自覚のないまま溜まった結果「五月病」を発症してしまう時期でもあります。
偶然なのか、川田さんが亡くなられたのも5月です。
皆さんはどうか絶対に無理はなさらないでくださいね!適度に頑張って適度に力を抜いてマイペースが一番‼

最後までご覧いただきありがとうございました。