原田泳幸氏といえば、Apple社やマクドナルド社などの代表取締役を歴任し、落ち込んでいた売り上げを持ち直させた手腕で有名な実業家の男性です。

原田泳幸氏はこれまでに、Apple社、マクドナルド、ベネッセ、タピオカで有名なゴンチャグループなどの代表取締役・CEOを務め、類稀なるマーケティングの才能で遺憾なく手腕を発揮。

原田泳幸氏は、数々の大手産業が持つ今日のブランドイメージを作り出した仕掛け人でもあります。

そんな原田泳幸氏ですが、その斬新な経営方針やマーケティングの功績が尻すぼみになりがちという無能と言わざるを得ない特徴があります。

原田泳幸氏は、一部で「疫病神」ともあだ名され、叩き出した華やかな業績を維持できない無能ぶりに、眉を顰めるものも少なくありません。

無能と言われ続ける原田泳幸氏、疫病神の噂は果たして本当なのでしょうか?

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原田泳幸のプロフィール

原田泳幸氏は1948年12月3日生まれの現在72歳、Apple社やマクドナルドほか、数々の大手企業や売り上げを伸ばしている企業の経営に関わり続けてきた、マーケティングのスペシャリストです。

原田 泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日 – )は、日本実業家エンジニア。株式会社原田泳幸事務所代表取締役[1]。本名は原田 永幸(読み同じ)。長崎県佐世保市出身[2]

日本ナショナル金銭登録機株式会社日本エヌ・シー・アール株式会社横河・ヒューレット・パッカード株式会社での勤務を経て、シュルンベルジェグループ取締役アップルコンピュータジャパン株式会社取締役、アップルコンピュータ株式会社社長Apple Computer, Inc.副社長日本マクドナルド株式会社社長、日本マクドナルドホールディングス株式会社社長、株式会社ベネッセホールディングス社長、株式会社ゴンチャジャパン代表取締役会長兼社長兼CEOゴンチャグループ グローバルシニアリーダーシップチームメンバーなどを歴任した。

原田泳幸氏の敏腕マーケターぶりは、行く先々で落ち込んでいた経営をV字回復させることで数字として現れています。

1997年4月、経営不振に陥ったアップルコンピュータ日本法人代表取締役社長に就任。事業基盤の改革、iMacの大ヒット、販売店変革等でV字回復を実現する。

2003年Apple Store 銀座(現在地第1号店)をオープン。iPodの発売開始等、スティーブ・ジョブズと7年間一緒に仕事をし、今日のAppleの幕開けとなる。

原田泳幸氏は、Apple社で7年間仕事をし、iPodの発売やiMacのヒットにも尽力、Apple Store銀座大一号店の出店にも関わり、低迷していた売り上げの回復を実現しています。

アップルコンピュータ日本法人社長を退任後、日本マクドナルドホールディングス日本マクドナルド代表取締役副会長兼CEOに就任。アメリカマクドナルド本社からヘッドハンティングされる形となった事で、Macintoshの通称・愛称「マック」から、「原田氏、マックからマックへ転身」などと報道された[7][8]

社長就任後、日本マクドナルド創業者の藤田田が進めてきたバリュー戦略の見直しを次々に打ち出し、行き過ぎた安売りで失墜したマクドナルドのブランドイメージを短期間で建て直したとされた[9]

またその後原田泳幸氏は「マックからマック」と報道されている通りマクドナルド社のCEOとして就任し、薄利多売で失墜していたマクドナルドのイメージを短期間で立て直したことも有名なエピソードとして語られています。

しかし、れっきとした業績を残している原田泳幸氏ですが、巷では無能としても名を馳せているのです。

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原田泳幸の無能ぶり?

原田泳幸氏はマクドナルドのCEOを務めているとき、レジカウンターのメニュー表を撤去したほか、日本マクドナルドの個性でもあった季節メニューを廃止するなど斬新な経営を打ち出しましたが、そのどれもが消費者に受け入れられず、マクドナルドの株価を暴落させ業績不振に追いやってしまったため、マクドナルド関係者を中心に「原田泳幸は無能」だと囁かれるようになりました。

また、原田泳幸氏は従業員解雇によるコスト削減やフランチャイズ店舗の拡充など、掟破りの経営施策を数々と打ち出し経営を持ち直させましたが、原田泳幸氏が掲げる経営理念「客数×客単価」を忠実になぞりすぎた結果、ハンバーガーの急激な値上げやクーポンのばらまきなど無策とも言える経営を行い、結果として「無能」とされるまでの業績の低下を招いてしまいました。

既存店売上高は6月こそプラスだったものの、7月以降は前年を下回る。これを受け、8月には2013年の業績予想を2005年以来となる経常減益に下方修正した。「原田マジック」は万能の魔法ではなかったのだ。

現実を直視しがたかったのだろう、原田は8月の会見で苦々しく話している。

「(低価格メニューの拡大策を)開始したにもかかわらず、お得感が下がることはありえない。申し上げにくいことだが、メディアが『100円マックが消えた』と盛んに報道したせいではないか」

原田泳幸氏は、退任後のインタビューやマクドナルドが業績不振に陥ったことを問い詰められた際に「マクドナルドがここまで成長できたのは私のおかげである」「今回の退任はただの交代である」というように答えており、無能と言われてもおかしくない言い訳ばかりを並べています。

結果から見てわかるように、原田泳幸氏は無能であるといえ、さらにそれは「疫病神」という呼び方に変わり、ネットユーザーから批判を浴びているようです。

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原田泳幸が疫病神と言われる理由

原田泳幸氏はマクドナルドを全く新しい形に作り変え一部を不便にしたほか、斬新な経営施策で消費者を置いてけぼりにして一度は上がった業績を半分以下に低迷させたことから「疫病神」との呼び名が高いようです。

また原田泳幸氏が疫病神と呼ばれるのにはもう一つ理由があり、ベネッセグループの社長を務めていた際、原田泳幸氏がベネッセ社長に就任したばかりの頃に最大3500万件にも及ぶ個人情報が漏洩する事件が起こりました。

ちょうどその頃は、原田泳幸氏が新しい経営方針を発表するのと時期が重なっていたこともあり、タイミングと間の悪さから「まるで疫病神だ」と言われるまでとなってしまいました。

個人情報漏洩の原因は提携していた派遣会社が個人情報を金銭目的で転売していたことでしたが、原田泳幸氏のこの狙ったようなタイミングはまさに疫病神の仕業としか言いようがありませんよね。

グループ企業の派遣会社が顧客情報を金銭目的で転売していたことが原因で、ベネッセとしては被害者としての側面も持ち合わせていた今回の事件。しかし、同社はその“被害者感情”が広報対応ににじみ出てしまったことが、この問題の傷口を広げる大きな要因となった。

この事件を受け、原田泳幸氏はわずか2年という短い期間でベネッセグループのCEOを退任しています。

もはや原田泳幸氏に疫病神がついているのではないのかと、俄かに話題となっています。

67:なんJゴッドがお送りします2021/02/07(日) 00:29:58.52ID:gnWSbwI40

疫病神としてレジェンドなんだよな
社長辞めるとその会社がV字回復するのだ

原田泳幸氏の疫病神説にはこんなユニークなコメントもあり、貧乏神や疫病神はしっかりもてなせば福を運んでくれる神様という逸話にのっとった、疫病神こと原田泳幸氏の見方です。

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まとめ

今回は、原田泳幸氏が無能で疫病神と言われていることについてご紹介しました!

記事をまとめるとこんな感じです!

●原田泳幸氏は独自の手腕を発揮し業績を一度は回復させている
●原田泳幸氏は斬新なことをしすぎた結果会社の業績を暴落させ、無能の烙印を押される
●原田泳幸氏はいく先々の会社の経営を潰しているため「疫病神」と呼ばれている
●原田泳幸氏の退任後に業績が持ち直しているのである意味では本物の「疫病神」である

型破りなアイデアでマーケティングし、経営者としての腕を奮ってきた原田泳幸氏。

原田泳幸氏が無能と言われるのは時代が追いついていなかったからと言い換えることができるかもしれません。

しかし、いく先々の会社が傾いているのに退任後急速に返り咲くことを繰り返しているのは、原田泳幸氏が「疫病神」と言われている理由がよくわかります。

原田泳幸氏は現在はどこのサポートもしていないようですが、今後も活躍するのかと思うと楽しみですね!