みなさんこんにちは!日本の国技といえば相撲。

鍛え上げた大きな体一つでぶつかり合う。

他の格闘技と違って殴り合ったりする事もないのに、迫力のある勝負が魅力ですよね!

国技といえど、最近はずっとモンゴル出身の力士ばかり横綱になっていて相撲ファンからは

『いい加減日本人力士から横綱を!』と言った感情が高まっていたなか、やっと日本人横綱が誕生しました。

第72代横綱 稀勢の里です。

今日は横綱になってすぐに引退をしてしまった稀勢の里について探っていきたいと思います。

まずはプロフィールからどうぞ!

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稀勢の里のプロフィール

稀勢の里 寛
(きせのさと ゆたか)
所属部屋 田子ノ浦
本名 萩原 寛
しこ名履歴 萩原 → 稀勢の里
最高番付 第72代横綱
生年月日 昭和61年7月3日
出身地 茨城県牛久市
身長 188.0cm
体重 177.0kg
得意技 左四つ・寄り・突き
引用:日本相撲協会http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/2445/

中学まで野球少年だった稀勢の里は中学2年の時、鳴門部屋を訪れた際、鳴門親方から

「これは、末は大関横綱に必ずなる。ぜひ入門してほしい」

とスカウトされ中学卒業後入門。

圧倒的な強さのある力士ではないものの、2016年には史上初の優勝なしでの年間最多勝を受賞しています。

そして2017年には初優勝を果たし

「ずいぶん長くなりましたけど。いろいろな人の支えがあって、ここまでこられたと思います」

と述べ、涙を流し優勝の喜びを述べました。

この優勝の後、稀勢の里は30歳で遅咲きの横綱へ昇進します。

この喜びを誰よりも見せたかったであろう師である鳴門親方。

2011年に急逝してしまった親方に横綱の姿を見せることはできませんでしたが、誰よりも稀勢の里の昇進を喜んでいだ事とと思います。

ファンも待ち望んでいた久方ぶりの日本人力士の横綱誕生。

しかしこの後、稀勢の里を苦しめる出来事が起きてしまいます。

稀勢の里にいったい何が?

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稀勢の里のケガとは?

左大胸筋損傷及び左上腕二頭筋損傷

横綱になってからの初場所、格下勢を寄せ付けず連勝をしますが、13日目、2017年3月24日、日馬富士との対決で左胸から肩にかけて大怪我を負ってしまいます。

休場が囁かれる中、左肩にテーピングをして強行出場をし結果的には2場所連続優勝をはたします。

ですがこの時無理をした事で、怪我は目に見えて悪化していました。

相撲の土俵は高さが60センチほどあります。テレビで観てると力士たちの体が大きいので、あまり高さを感じませんが土俵上に立つと力士は自分の目線の高さから見下ろす事になるので体感は2メートル近い事になります。

そこから落ちる危険性と、怖さのなか力士たちは取組をしている訳です。

そんな高さから落ちた稀勢の里は左腕から肩にかけて痛々しい怪我をしてしまいます。

拍手するのも弱々しく相当な痛みがあったのがわかります。

左腕を使えないながらも大関照ノ富士との取組は逆転優勝をします。

その後、4月の春巡業は全休したものの、5月の夏場所は出場を決めます。

ですが出場は決めたものの、本場所に出ては途中休場を繰り返す結果に…

これにはファンも

一度ゆっくり休んで怪我の治療に専念してほしい

と考える人も多かったのですが、なぜ稀勢の里は無理をしてしまったのでしょうか?

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稀勢の里のケガ悪化の原因は?

◆日本人横綱誕生への期待

マスコミはこの19年ぶりに誕生するかもしれない横綱として、稀勢の里に大きな期待をしていました。

国民の期待もどんどん大きくなり、相撲への注目も確実に上がっていたように思います。

そんな国民の期待もあったからか?

稀勢の里が横綱に推薦されます。

◆横綱審議会の決定

19年間日本人横綱が出ない中、唯一横綱に近い存在が稀勢の里でした。

そんな中巷では

横綱昇進に相応しい成績を残していないにも関わらず横綱に推挙した横審

横綱審議委員会の推薦や決定に疑問を持つ方が出てきます。

そんな事が囁かれる中、結局稀勢の里は横綱へと昇進をするのですが、このようなプレッシャーや期待の中、横綱になったばかりで怪我を理由に休める雰囲気ではなかったのではないでしょうか?

◆田子ノ浦親方のマネジメント?

周りの期待を一身に受け30歳にしてやっとなった横綱。

本人も期待に応えようと無理をするのは誰が見ても想像がつきます。

本人の自己判断が良くなかった事が1番の原因かもしれませんが、先程から言うように国民や相撲ファンの期待、相撲協会からの期待、この期待の中でアスリートや選手、力士達は冷静な判断ができるでしょうか?

マネジメントする周りの人間が止める事もできたはずです。

鳴門親方が亡くなった後、移籍した田子ノ浦部屋。

田子ノ浦親方はまだ、40代と若く力士の怪我に対しての判断などの経験が浅かったことも稀勢の里に無理をさせてしまった要因ではないでしょうか?

◆稀勢の里自身の判断ミス

稀勢の里は力士になってからこのような大怪我をした事がありませんでした。

なので、自分でどの程度まで無理しても大丈夫な怪我なのか、といった判断をするのが難しかったのかもしれません。

それに加えて、休めない雰囲気。

無理に無理を重ねて、中途半端な治療と出場を繰り返し、怪我の完治が困難になってしまいます。

肩の怪我に加え、無理に肩を庇いながらの取組で足首も怪我をしてしまうなど負の連鎖を作り出してしまいます。

そしてとうとうその時が…

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稀勢の里、引退

稀勢の里の必死の頑張りが逆に怪我の悪化と、怪我の連鎖を起こしてしまい2019年1月16にとうとう引退をします。

休場してる間も

「毎日葛藤するものがあった。このまま引退するか、それとも頑張るか。毎日葛藤しながらやっていた」

と語った稀勢の里。

2019年の初場所を3連敗して引退を決断します。

「ファンの人たちに、もう一度いい姿を見せたい」

としながらも、北斗の拳のラオウの言葉を借りた有名な言葉

「土俵人生に一片の悔いもございません」

この言葉を残して17年の現役に幕を下ろします

稀勢の里の引退後は?

引退後は荒磯親方と襲名。田子ノ浦部屋の部屋付き親方として務めるかたわら、相撲の解説者としてデビューもしています。

中学卒業後、すぐ鳴門部屋へ入門しているので最終学歴としては中卒の荒磯親方。

ですが、2021年3月17日に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科1年制の修士論文で

新しい相撲部屋経営の在り方」をテーマに、最優秀論文として表彰されています。

https://twitter.com/masaki_insei/status/1369970721594609668?s=20

過去のインタビューでは↓のように発言したことも。

「怪我をする前」ではなく「怪我をした後」に戻って…

と発言していることから、稀勢の里が怪我をした後の周囲からのアドバイスや対処の重要性、自分自身の判断に対しての後悔がやはりあるのではないでしょうか?

ですが、そんな後悔をプラスへ変え、自身に苦難が多かった分理解のある有能な指導者にることと思います。

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まとめ

  • 稀勢の里の怪我は2017年日馬富士との対決で左大胸筋損傷左上腕二頭筋損傷
  • 引退は2019年1月16「土俵人生に一片の悔いもございません」と名言を残し幕をおろす

現役引退後も大学院でケガに対しての知識やアプローチを勉強して、これからできるであろう後輩であり弟子たちに同じ思いをさせたくないといった、稀勢の里(荒磯親方)の相撲に対する熱い思いが伝わってきます。

いつか荒磯部屋を作り、日本人外人関係なく荒磯部屋からバンバン横綱が出て活躍してくれることを願い、これからも荒磯親方の活躍を応援していきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。